2024年8月29日木曜日

豪州旅行記 2024


回顧を兼ねた書評 令和二年三月
僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。アフリカは遠すぎて行けなかった。新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。 旅も好きだが、旅行記も好きだ。この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。何よりも文章がうまい。奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、一気に読め、感動的でさえある。朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。

ケアンズへの道 1 2024年5月28日
娘は小学生の頃から海外に連れて行けと連呼していた。いつだったか、先生が「海外に行ったことのある人?」と聞いたら、クラスのほとんどの児童が手を挙げたと言う。
ほとんどっていうのは普通少なくとも8割だろう。まさか4割じゃないだろうな。水増ししてんじゃねぇだろうな。この地域は割と富裕層が多い。だからか。
言っとくけど、うちは富裕層じゃないからな。たまたま中古マンションが安かったから買っただけだけど、それが15年で1.5倍に跳ね上がった。
マンション自体は古いが、立地場所がよかったのでラッキーだった。定年になってもまだローンは残ってるが。何の話だっけ。
とにかく先生も嫌なことを児童に聞くねえ。
中学に入学しても娘の海外熱は冷めない。

「うちはビンボーなの?」と娘。
映画「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」でミッキーローク扮するホワイト警部が妻に「君は本当の貧しさを知らない」って言うシーンがあるが、 ポーランド出身のホワイト警部はニューヨークに来てからも苦労したんだろう。

そんなことを思い出したが、娘に言っても「それがどうした」と言うのに決まっている。
あんたの塾代にどんだけ注ぎ込んだと思ってんの?
という妻の正論もeastern window blows into the ears of horse.だ。
中学受験に合格したら、アメリカに連れてってな、と言っていたが不合格で良かった、いや、良くないが。
中学生になっても娘の海外熱は下がるどころか強固になるばかりである。
連日の執拗な攻撃にさすがの旅順港も陥落した。妻が折れたのである。
乃木将軍、万歳。

いやいやいや、いいのか。傍らで聞いていた私は驚いた。実は妻は癌治療をしていて、今は再発予防の治療をしているのだが、癌保険がおりた。
それを将来の大学進学のためにプールしておこうとの算段だったのだが、堅実で心配症の妻がいいと言うのなら異論はない。
それでも三人分の旅費を捻出することは厳しく、妻は抗がん剤の副作用で下痢が頻出するので私と娘だけが行くことになった。
近場ならいい、という妻の言葉に従って娘はタイかフィリピン、どちらがいいかなと言っていたが、そのうちアジア以外の国に行きたいと言い出した。
おい、要求のエスカレーションかよ。
都知事三選を目指す小池百合子かよ(意味不明)。
「それじゃあ、ケアンズはどう?」と妻。
え、ケアンズってどこだよ。

ケアンズへの道 2 2024年5月29日
ケアンズってオーストラリアの都市なのか。今の今まで知らなかった。
私は結婚するまでアジアの国をフラフラとリーマンパッカーをしていたが、オーストラリアは眼中になかった。
娘は大喜びである。はっきり言って私はあまり乗り気ではなかった。大自然とかカンガルーとかコアラとかあまり興味ないしな〜。
映画「クロコダイル・ダンディー」はよかったけど。ラストのニューヨークの地下鉄のシーンはよかったよな。何十年も前に見たのにまだ覚えているくらいだ。
その映画がきっかけで主演の二人は結婚したんだ(のちに離婚)。
妻が言うには日本からケアンズまで7時間で行けるし、時差も1時間しかない。
木曜日に退社して21時のジェットスターに搭乗すれば金曜日だけ有給をとって日曜日の夜には帰国できるんだそうだ。
実質、ケアンズにいるのは二日間だ。
さっそくメルカリで『地球の歩き方 オーストラリア編』を購入(定額の半額)。去年のだけど、去年も今年も変わりないだろう。
まずはパスポートを用意しなければならない。私にとっては四冊目のパスポートだ。スーパー「ライフ」の傍にあるフォトスタンドで顔写真を撮ると一人1000円もする。
なのでスマホで妻に撮ってもらい、お試しの写真加工アプリをダウンロードして背景を白くする。それをコンビニでプリントアウトしたら80円で済んだ。
五年用のパスポートは二人で22000円。申請は妻がしたが、受け取りは本人しかできない。
 日曜日(もやっているのだ。でも土曜日は休み)に娘とパスポートセンターに行ってきた。
今はICチップが入っているのか。パスポートを手にすると娘は興奮。地下鉄代を節約するために歩いて帰ろう、と言うので(さすが、なにわ生まれのなにわ育ちよのお)40分歩いて帰宅。
目的がある節約って楽しいなあ。
それにパスポートを手にしたことで徐々にアゲアゲになってきた。

ケアンズへの道 3 2024年6月12日
「豪雨ってオーストラリアに降る雨のことですよね」とは知人のT君の名言だが、ケアンズ観光と言えば熱帯雨林とキュランダ鉄道である。熱帯雨林は世界最古らしい。
調べてみたらアマゾンのジャングルより八百万年古いという。
現地のツアーは熱帯雨林を上空から眺めるスカイレールと観光列車のキュランダ鉄道がセットになっている。
これに乗らないのは熱海で温泉に入らずに帰ってくるようなもんではないか。
さらにキュランダ鉄道はあの「世界の車窓から」というテレビ番組のオープニングを飾っていたという。

どうせならと日本語ツアーに申し込んだ。結構な値段だが、一生に一度のこと。 セに原は変えられない(私は野球は見ないがアンチ巨人)。
これを娘に言うと、ちょっとした事件が起こった。
「そのお金があったらシドニーに行けるんじゃないの」
娘はケアンズのような田舎より都会に行きたかったらしい。

「あんた、英語圏に行きたいゆうたやんか。せやから一生懸命調べてかケアンズはどう?って言ったやんか。
ネットでポチるときもあんたに何度も確認したら、それでいいゆうたやろ」

妻は感情的になって、「なんでそんなこと言うん?腹立つわ」と半べそになる。
もういいわ。航空券今からキャンセルしたらいくら返ってくるか調べる!と激高。
これはキャンセル寸前まで事態が深刻化してきた。まるでキューバ危機だ。キューバの急場である。これは回避しなくてはならない。
世界の平和、いやわが家の平和のために。

そこで私は一計を講じた。それは全米興行収入第一位に君臨するジェームズ・キャメロン監督「アバター」はロケ地をケアンズの熱帯雨林にしたと聞いた。
もちろん世界遺産なのでCGも駆使しているだろう。
「アバター」を娘と二人で観ることにした。
そうすれば大自然に感動する→熱帯雨林すごい→なにがなんでもケアンズ行く→ケアンズすごい→ママありがとう!となるはずだ。
娘と「アバター」を観た。

ケアンズへの道 4 2024年6月19日
「アバター」って3時間半もあるのか。ちょっとしたランナーなら32.195キロを走れるんじゃないの。プライムビデオで娘と一緒に観た。惑星のジャングルのなんと美しいことか。
あのような景色をスカイレールから見れるのか、と胸を踊らせていると、娘は開始40分で「つまらない」とリタイヤ。

おい、なんだよ、「ターミネーター2」は面白いって最後まで観てたじゃないか。仕方なく一人で最後まで観た。ストーリーはいたってシンプルだ。
ベトナム戦争や湾岸戦争を想起する人も多いだろう。
そういえば関係ないが、『美味しんぼ』の作者、雁屋哲は山岡さんに「梅雨さえなければ日本はいい国なんだが」と言わせている。
オーストラリアに移住したのもそれが一因だろう。

ともあれ、あまりにも旅行先を急いで決めてしまった、もっと話し合うべきだった、と妻も反省する。娘に聞いた。
「選択肢は二択。ケアンズ行きをキャンセルするか、それとも行くか」。

娘は「行きたい」と言った。
それからシドニーのことは口にしなくなった。
現地滞在は二日間だけだけど、楽しい旅にしなくては。
やるべきことはたくさんある。eSIMの購入(これはHolaflyで買った。三日間、使い放題で1400円弱という破格の値段。疑問点をメールしたらすぐに日本語で返信してくれた)。

ETA(電子版ビザ)は一人2000円。項目の中に「あなたは家庭内暴力の加害者ですか」とあり、もちろん「いいえ」にチェック。正直に申告する加害者がいるだろうか。
ホテルは様々な体験をしてほしいと思い、効率は悪いが1日目と2日目は別々のホテルを予約した。バックパッカーが泊まるようなホテルだが、さすがにドミトリーではなく個室にした。
シャワーとトイレは共同。それでも一泊一万円以上する。二泊とも吟味して宿泊者の評価が高いホテルにした。難波から関空までは奮発してラピートを予約。

時差は1時間だが、現地時間を勘違いしないようにメルカリで腕時計(2000円)を購入。
その他メルカリで購入した物は変換プラグ(500円)、首掛けスマホストラップ(300円)。旅の記録用のトラベルノートとリュック(1000円!)はAmazonで買う。
リュックに付ける鍵と機内で安眠するための空気枕は百均で買った。

ケアンズへの道5 ドリアン長野 2024年7月10日

会社を4時前に退社し、自宅で娘を引き取って難波からラピート(初めて)に乗り、列車内で妻の作ったタコライスを食べているうちに関空には40分で着いた。
ジェットスターのチェックインカウンターは長蛇の列。多分日本を満喫してオーストラリアに帰国する人が大半。五千円だけオーストラリアドルに換金する。
私は海外は20年振りである。たび慣れている人にとっては噴飯物だろうが、出国審査官にパスポートを渡して写真と本人を見比べてスタンプを押す、なんてことはない。機械にパスポートを入れて写真撮影をする。OKであれば、ゲートが開いて手荷物検査場に進むのだ。スタンプさえ押さない。そりゃ、肉眼よりもデジタルの方が確実だもんね。まるで浦島太郎になった気分だ。
なぜかフライトは1時間遅れた。席に着くとすぐさま100均で買った空気枕を装着。娘は映画を観ていたが、その内二人とも爆睡。
当機はまもなくケアンズ国際空港に到着いたします、のアナウンスで目が覚めた。
朝の5時。娘は寝起きが悪いのだが、興奮しているせいか、すぐ起きた。
乗客が多いので入国検査にも時間がかかった。
空港の外に出ると小雨が降っている。
ケアンズの車のナンバープレートには「the city of sunshine」って書いてあるのになんだよ。
しかし、後からわかったのだが、大雨になってもすぐにあがり、嘘のように快晴になる。それを1日に何度も繰り返した。
Uberタクシーを呼ぶ。
初めて利用したが、到着するのに五分とかからなかった。

ホテルは9時にならないとオープンしないので、地元で人気のカフェに行くことにした。
ケアンズのカフェは朝の6時からやっている。

「オーストラリアは初めてかい?日本人もよく乗せるよ。以前はタクシードライバーを25年やってたんだけど、3年前にUberに変わったんだ」
「もうかって仕方ないんじゃない? You can swim in cash」

「ははは、そうなったらいいけどね。でもmuddy’s cafe は最高のカフェだよ」

海沿いのmuddy’s cafeに着いた。ホテルやレストランが密集しているエスプラネードという地域。 カフェはオープンになっていて眼前には海、公園があり、遊具がある。

ケアンズへの道6 2024-07-21

オープンカフェのテーブルの上には「鳥に餌をやらないでください」と表示がある。金曜日の朝だけどお客さんがひっきりなしにやって来て、黒の半袖半パンのスタッフがキビキビと働いている。オーダーはテーブル上のQRコードから。
注文したアサイーボウルはシリアルと様々な果物が満載。
美味しい。
通りがかった女性スタッフに「This acai bowl is excellent!」と言うと、満面の笑顔を返してくれた。
娘にはハンバーガーとスムージーを注文。ちょうど日本にいる妻から「どう?」とメールが来たので「ハンバーガー食べて機嫌がいい」と娘とハンバーガーの写真を送った。アサイーボウルがあまりにも美味しいのでもう一つ注文する。さすがに腹パンだ。昼食が食べられなかった。

カフェから歩いてホテルに向かう。ケアンズは人口16万人ののどかな街だ。

交差点などに締め殺しの木の巨木があり、ここが熱帯のオーストラリアだということを認識される。以下はWikipediaから引用。

「絞め殺しの木(Strangler Fig)とは、熱帯に分布するイチジク属や一部のつる植物などの俗称である。絞め殺し植物や絞め殺しのイチジクなどとも呼ばれる。他の植物や岩などの基質に巻きついて絞め殺すように(あるいは実際に殺して)成長するためにこの名前が付いている。代表例として以下の植物がある。
これらの木は宿主植物を絞め殺すという共通の特徴を備えており、イチジク属のものを中心に多くの熱帯雨林に見られる。この特性は、太陽光を巡る競争が苛烈な暗い森林の環境に適応した結果、獲得されたものである」
信号機には全て押しボタンが付いていて、30秒で赤に変わる。オーストラリアは車優先社会だからだろう。歩行可能を知らせるポコポコポコという電子音が妙に耳に残る。
公衆トイレは男女関係なく使用できるユニセックストイレになっている。街角にあるゴミ箱は分別できるようにペットボトル用と可燃物用がセットになっている。

到着1日目は予定を入れずに街歩きをする日にしたのだが、いろいろと面白い。
20分ほど歩くとケアンズ最大のショッピングセンターに突き当たったので入ってみることにする。入口付近に綿アメ機があった。おなじみの棒でぐるぐるして綿アメを巻きつけるやつ。
何だか懐かしい。
二階にはマクド、寿司などの広いフードコートがあり、その先を進むとケアンズ最大のスーパー「woolworths」があった。入ってすぐ目についたのが上記のものだ。
バナナはケアンズ郊外で栽培される。自産自消なので海外には輸出しない。 娘は一本持って帰った。

ケアンズへの道7 2024年7月24日

ペットボトルの水は250円から600円くらい。
オーストラリアは乳製品が美味しいと聞いていたのでチューブ入りのヨーグルトを買う。
娘はスーパーを裸足で歩いている人に驚いていた。街中を裸足で歩いている人もちらほら見た。

「日本だったら靴を履いてないと貧しい人だって思われるけど、オーストラリア人は気にしないんだなあ」と娘。

woolworthsの近くにはアジア食品店があり、娘はケアンズにアジア人が多いことにも興味を示していた。

非白人の移民を禁じた白豪主義を経て、1960年代から英国からの移民の減少とともに、英国以外の地域からの移民受け入れに対する制限が融和され、1973年、多文化主義政策の導入が決定した。

 レジは日本のように有人とセルフがある。ただ、このスーパーは5時半には閉まってしまうので気をつけなければならない。
ショッピングセンターはケアンズ駅に直結している。中を突ききって行けば駅の裏にあるホテルに最短距離で着くのだが、そのことを知るまでわれわれは一旦外に出てからホテルに行っていた。

一泊目は駅から五分の「Traveler's Oasis」というバックパッカー用のホテル。ホテルの周囲には壁が巡らせている。入口にはボタン式の鍵がかかっていて、パスコード(暗証番号)を押さないと入れない。すぐに側にいた宿泊客が「入りたいの?」と開けてくれた。

このホテルが素晴らしかった。もしまたケアンズに来ることがあれば、再度このホテルに泊まりたいと思うほどだった。

レセプションには若い女性がいて、大きな黒犬が寝そべっていた。オーナーが飼っているのだという。

「ハイ、私はハナ」
「日本語でハナはフラワーという意味だよ」
「フラワー!そうなの?」

 部屋の清掃が終わったので彼女が案内してくれた。
 別棟が3棟あり、共同キッチンが三つある。
 中庭にはプールがあり、宿泊客がパソコンをしたり、読書をしたりする広いスペースがある。
コインランドリーも設置されている。特筆すべきは樹木が多く植えられていて、石像もアクセントになって南国!という感じなのだ。

二階のバルコニーのある部屋を予約していたが、両側にあるバルコニーにはソファーとテーブルがあり、スーパーで買ってきた食料品を早朝、または夕暮れ時にそこで食べるのは至福の時間だった。
二つあるトイレとシャワーは共同だが、二階には四部屋しかなかったので全く支障はなかった。

ケアンズへの道8 2024-07-25

テレビをつけるとCNNでトランプとバイデン候補者討論会をやっていた。娘は興味があるらしく熱心に観ている。1時間休んで街に繰り出す。まずはwoolworths(そればっかりやん)。
スーパーは何度行っても楽しい。
同じフロアにあるCOLESという、これも大きなスーパーに行ってみる。「OLD GOLD」というチョコバーが安売りをしていたので妻のお土産として買ったのだが、日本に帰って食べてみたらこれが今まで食べたチョコの中で断トツに美味しかった。日本のチョコは私には甘すぎるのだけど、カカオの苦さと甘さが絶妙である。もっと買って帰ればよかったと後悔したほど。

そこから15分ほど歩けばエスプラネードという地域になる。ケアンズ市内には海水浴場がなくて、海水浴をするにはバスで40分ほど足を伸ばさなければならない。その代わりに海岸沿いのこのエスプラネードには人工の無料プールがあり、いつも賑わっている。かなり広く、水際には白い砂が敷き詰められている。夜の9時までやっていて監視員も常在しているし、深いところでも160センチしかない。
最初は冷たかったが(気温26度)、慣れると気持ちいい。抜けるような青空の下で泳いでいると、オーストラリアにいることを忘れてしまう。

まだ夜には早いのでホテルに戻ってからwoolworthsに行く(笑)。

再びエスプラネードのナイトマーケットへ。
フードコートがあり、お土産屋、マッサージ店などで賑わっている。タイ式マッサージ、中国式マッサージ、どこも繁盛している。

周辺のレストランも店内だけでなく、テラス席までいっぱいだ。私は商店街で生まれ育ったせいか、このような場所にいるだけでワクワクする。
ケアンズにはスタバはなく、独自のカフェ文化が発達している。
 コンビニも地元の「Night Owl」などがチラホラあるが、日本のコンビニは郊外に「セブンイレブン」第一号店が半年前にできただけだ。
 娘は親友にリュックを背負ったコアラのバッグチャームを買い、自分用にコアラのTシャツを買った。

 ケアンズ二回目の食事はフードコートのフィッシュ&チップスにした。カウンターで注文すると手書きの番号が書かれた紙を渡される。出来上がると、その番号を連呼するのだが、賑わっているフードコートではかなりの大声でないと気がついてもらえない。
私はタラ、娘はイカリングを注文したのだがフィッシュもチップスも多すぎて半分ほど食べて、残りは持って帰ることにした。

ケアンズへの道9 ドリアン長野 2024年7月26日

フードコートを出て、少し歩くとマクドナルドの前にプレスリーの格好をした全身金色の人形が金色のギターを抱えている。
じっと見ていると、突然動いた。なんだ、人間か。観光客だろうか。ツーショット写真を撮っている人もいる。
彼らの後ろには昼間泳いだプールがあり、近くには観覧車がまばゆい光を放っている。

街を歩いていると、woolworthsを見つけた(ショッピングセンターとは別の)。

今度はバナナではなく、りんごが置いてあり、同様に「お買い物中、お子様に果物をどうぞ」と書いてある。

「いいんかな?」
「いいよ」
娘がさっきお土産屋で買った2ドルのバッグに一個入れる。2ドルと聞いて高いと思ったが、これも立派なお土産だ。

店内には2リットルで50セントという破格のミネラルウォーターが売っていた。

「これ、やばい水ちゃう?」
と娘が笑う。

店を出て、気の向くままに歩く。金曜日の夜。みんな楽しそうだ。

「楽しくてハイになってきた」

娘がこんなことを言うのは珍しい。

そして言った。

「日本に帰りたくない」

あんなにシドニーに行きたいって言ってたのに。

でも、わかるよ。パパも同じ気持ちだもの。

ケアンズへの道10 2024年7月28日

朝の2時頃にトイレに行くと大雨だった。これは駄目だな、と思った。せっかくツアーに申し込んであったのに。それが6時に起きると嘘のような快晴だった。スーパーでもらったバナナとりんごとフィッシュ&チップスの残りで朝食を手早く済ませて、7時に娘を起こす。いつもならなかなか起きないのにパッと起きた。

ちなみにオーストラリアはキャッシュレス社会なので現金を使ったのは3ドルだけ。ホテルの部屋はエアコン使用が1時間1ドルなので1ドル硬貨を三枚使った。あとは娘に10ドル紙幣を記念にやった。関空で五千円を両替していたのだが大半が余った。

バルコニーには誰もいないので娘は置いてあるソファーに座って南国風の景色を眺めながらフィッシュ&チップスとオレンジジュースの優雅な食事。

『深夜特急』の著者が香港島に行く渡し船で風に吹かれながらソフトクリームを食べる、50セントで王侯貴族でも味わえない優雅な時間だった、と書いていたのを思い出した。

パッキングして早めに出ていく。オフィスは閉まっているのでキーをボックスに入れてチェックアウト。良いホテルだった。親切、環境、アメニティ、アクセスの良さ、申し分なかった。われわれが泊まった日は一泊ダブルベッドで約15,000円。もう一度ケアンズに来ることができたらまた泊まりたい。

今日は日本語のツアー、「ジェイさんツアー」に参加する。集合場所は目の前のケアンズ駅だ。集合時間は8時35分から40分。今日はTraveller's oasisのほぼ隣のホテルを予約しているが(こんなに近くだとは思ってもみなかった。昨日、下見に行ってみてびっくり)、そこは8時半から荷物を預かってくれる。荷物を預けて身軽で参加するか迷ったが、手続きに時間がかかるかもしれないと、リュックを担ぎ駅へ。

ホテルの前の道路を渡っている時、娘が左折してきた車にひかれそうになった。とっさにひじを掴んで引き寄せる。 「道路を渡る時は左右を注意しないと駄目よ」

娘は「だから信号のない道を渡っちゃダメだと言ったでしょ!」

とキレ気味。動揺が言葉に表れているのだろう。確かにこっちも不注意だった。スミマセン。

集合場所には様々なツアー参加者が待っていた。バンで迎えに来てくれたのは20歳代のさわやかイケメン風の青年。兵庫県出身だそうだ。 ホテルを回って参加者をピックアップ。皆さん、いいホテルに泊まっていらっしゃる。 娘に言わせると昨日泊まったのはホテルじゃないとのこと。まあ、ゲストハウスやからねえ。

全員日本人(当たり前だ)の総員7名。60歳代の夫婦、海外に行くほど仲が良いことは素晴らしい。あんたと旅行なんか行きたくないわ、と言われたらおしまいです。あとは女性が三人。グループではなく、個々の参加。参加者は多い時でバス二台になるらしい。





ケアンズへの道11 ドリアン長野 2024年8月2日

ツアーのお兄さんはバンを走らせながらいろいろと教えてくれる。

「オーストラリアは日本と同じ左側通行で右ハンドルです。左ハンドル車は輸入禁止ですから、日本人にとっては運転しやすいですね。
この道をまっすぐ行くとシドニーに着きます。世界一長い国道1号線です。ケアンズからシドニー間は2590キロメートルで、車で休まず走っても27時間かかります。エアーズロックまでだったら29時間かかります。
オーストラリアではキャンピングカーで海岸線を一周するのがものすごく流行ってます。
ほら、あの車は屋根にテントがありますが、あのテントに寝泊まりしながら旅をする人たちもたくさんいます」

「レンタカーで一周してみたいな」と娘に言うと、うなずく。
「誰が運転するの?」

「ママだな」(私はペーパードライバー)

それにしても、ツアーの女性の一人が彼の言葉に逐一「へえ〜」と反応するので彼もやりやすいだろう。いい感じである。

「このとうもろこし畑は日本の本州がすっぽり入るくらい続いてます」

これには私も思わず「へえ〜」。

目的の熱帯雨林が近づいてきた。

「熱帯雨林で『アバター』の撮影をしたのは本当ですか」と聞いてみる。

「本当ですよ。今日は霧が出ているので『アバター』の雰囲気がより出てると思います」

スカイレールの始発駅はごった返していた。
四人一組で観覧車のようなスカイレールに乗り込む。

少し上昇してから下を見るとカンガルーの赤ちゃんがワラワラいた。幻視か?と思ったほど。
そしてスカイレールは六甲山のケーブルのごとく空中に達し、壮大な世界最古の熱帯雨林に360度囲まれた。スカイレールの鉄柱はヘリコプターで運び、周囲の土や植物は丁重に保管し、鉄柱を建ててから再び戻したという。

1億3000年前の白亜紀に形成された世界最古の熱帯雨林を現代のわれわれが現代の技術によって眺めているのだと思うと感激もひとしおである。

スカイレールはやがて標高の一番高いレッドピーク駅に到着。5分ほど歩いて別の駅に乗り換える。子どもの頃に図鑑で見たシダ類が生い茂っている。おお、白亜紀にジュラ紀!スケールが大き過ぎる。

乗り換えたスカイレールは徐々に下降していき、キュランダ村にあるレインフォレステーション駅に到着した。

駅にいるツアーのお兄さんと合流してアーミーダックツアーに参加する。

キュランダ村にはヒクイドリが生息しているのだが、「もし遭遇しても近寄らないでください」とお兄さん。大きなものは2メートル近くあるらしい。

「大柄な体躯に比して翼が小さく飛べないが、長距離なら時速50km/h程度で走ることが出来る他、非常に殺傷能力の高い爪を持つ。性格は臆病で気性が荒い。世界一危険な鳥ともいわれる。一方で、刷り込みが強く、1万8千年前には人類が飼っていたする説がある。日本では7つの動物園で飼育されている」

Wikipediaより

そんな怪鳥が目の前に現れたら恐ろしくて近寄るどころじゃないだろう。

ケアンズへの道12 ドリアン長野 2024年8月4日

アーミーダックは米軍の水陸両用車であり、第二次世界大戦で使われた。全長8メートル、50人ほど乗り込むことができる。男性が戦場に行ってしまったので工場で女性が作ったらしい。

河川、沼、海に入るとスクリューを稼働させる。 陸路はガタガタと揺れる。前に座っていた白人の御婦人がバナナを高々と挙げた。

「私、これからバナナ食べるわ」 とみんなに宣言していると思ったが(そんなわけねえだろ)、「これどなたの?」と聞いている。

あ、ビニール袋に入れていたバナナが振動で転がっていったのだ。お礼を言って受け取る。 今度は別の人がりんごを掲げた。

それも私のです。

ああ、恥ずかしい。あとでビニール袋を点検すると、ペットボトルのオレンジジュースが無くなっていた。それは発見できなかったんたろう。 沼を一周する。USJのジョーズみたいだ。 上陸すると、ある場所に停止して老練という言葉がピッタリするようなドライバーが自生の植物を説明する。

アボリジニが悪魔のような、と恐れるギンピギンピ。 英語名ではスティンギング・ツリー、またはThe suicide plantという恐ろしい名前もある。見た目はどこにでもある葉っぱなのだが、刺毛に触わっただけでその毒性によって痛みは少なくても半年続くそうだ。

「葉や枝に触れると、中空の二酸化ケイ素の尖端を持つ毛が皮膚を突き刺す。この刺毛は忌まわしい程の苦痛を与える。アーニー・ライダー (Ernie Rider)は、1963年にこの植物の葉で顔と胴を負傷したが、その苦しみについて、彼は「2から3日間、その痛みはほぼ耐えられないほどのものであった。私は働くことも眠ることもできず、2週間かそれ以上もひどい痛みに襲われた。この苦痛は2年間もの間続き、冷たいシャワーを浴びた時には、いまだに毎回痛みに襲われる。これに匹敵するものはない。他の痛みと 比べても10倍以上は酷いものだ」と述べている」

Wikipediaより

アーニー・ライダーは植物学者

沖縄でツアーに参加した時に教えてもらったが、観葉植物として人気のクワズイモは本来食わずイモと書き、葉をかじると口中の痺れ、下痢、嘔吐などの食中毒症状が発症するそうだ。 しかしギンピギンピの毒性には到底敵わない。 とにかく世界一の猛毒であるらしい。

ジャングルツアーが終わるとお兄さんが 「いろいろ教わったので、これでジャングルでも生き延びれますね」 と言うと、皆んな笑う。

事前にお兄さんが娘に「コアラを抱っこしたいですか」と聞いていたが、0.5秒で「はい!」

実は動物保護の観点からオーストラリア政府は来年にはコアラの抱っこを禁止する動きがあり、今年が最後だろうという。

土産物売り場の奥にあるドアを開けると、そこはコアラとの抱っこ場所。なんだか秘密基地みたいだ。

コアラにストレスを与えないように抱き方をオーストラリア人スタッフがレクチャー。 娘が抱っこしようとするが、なぜかうまくいかない。コアラは6キロあるので娘には重いと判断したのだろう。お兄さんが「お父さんが代わりに抱っこしてください」。

仕方なく抱っこする。結構ケモノ臭いし、Tシャツに爪を立てるので痛い。娘がコアラの背中を撫でるというポーズで写真。一生に一度の体験は私が主役になってしまった。

あとで娘が言うには「重くなかったで。コアラが抱っこを嫌がってん」

写真は娘が暗い顔で背中を撫でている。 さぞかし気落ちしたのではないかと思ったが、

「あそこでもし私がコアラを落としてたら国際問題になってたで」

と笑っていた。

ケアンズへの道13 ドリアン長野 2024年8月6日

キュランダ村の繁華街に送ってもらい、そこでツアーは解散。お兄さん、ありがとうございました!

キュランダ鉄道が出発する2時までは自由行動だ。他のツアー客は3時半に乗るらしい。
その列車にはゴールドクラスという客車が一両だけあって、座席も豪華、軽食や飲み物がビュッフェになっている。
せっかくならと最初はゴールドクラスを予約していたが、2時発にはなかった。
3時半発を取りましょうか、と言われたが断った(実質ケアンズにいられるのは今日だけなので早く戻りたかった)。

先ほどから雨かと思えば晴天になり、と天候が目まぐるしく変わる。

繁華街には原宿かと思うほどレストランやマーケット、土産物店などがひしめき、観光客で賑わっていた。
まずお兄さんに教えてもらったヒッピーが集まってできたという場所に行ってみる。
「ヒッピーって何?」
そうか、Z世代にはわからないか。
窪地にあるので階段で降りていく。なるほど、と思う。
アクセサリー店や占い館、茶店などが狭い路地に櫛比し、独特の雰囲気を醸し出している。
入り口に「bizarre」という看板があったが、それがピッタリだ。
カトマンズにこのような地区があったのを思い出す。

空腹だったので海苔巻きの店に入った。若い日本人夫婦がやっていて旦那さんは調理、奥様は販売だ。
どういう経緯でここにお店を持ったのか気になる。

ジンジャービールを買ってみた。ビールといってもノンアルで生姜がジンジャーエールより主張しているのが美味しい。

お兄さんに、「そこに美味しいアイスクリーム屋さんがあります。手であるサインをすると、シングルをダブルにしてくれます。場所はあえて言いません。探してみてください」と言われていたが、列車の発車時間が気になり、早々に街を出た。

少し歩くとこじんまりとした教会があった。娘は関心があるようで、入ってみたいと言う。 ドアは開け放れていて、観光客が長椅子に座って休憩している。ステンドグラスが美しい、この木造教会は100年以上の歴史を持つ英国国教会だそうだ。しばし静寂に浸る。
キュランダ高原鉄道駅はとても趣きのある駅舎だ。観葉植物の鉢植えが空間を埋めるように置いてあり、売店も喫茶室もひなびたヨーロッパの雰囲気がする。
ホームには駅舎を挟んで二両の列車が止まっているが単線だ。
列車もホグワース特急を思い出すようなレトロな感じ。
早く着き過ぎたので娘にアイスを買ってベンチに座る。

アイスを食べながら娘が昨日から何度も言っている言葉がまた出た。
「日本に帰りたくない」

ケアンズへの道14 ドリアン長野 2024年8月11日

キュランダ鉄道は改札もなく、検札もない。お兄さんに渡されたチケットは記念乗車券みたいなものだ。

早めに客車に乗り込む。客車もレトロ感満載。ありがたいことにウォーターサーバーが置いてあった。チケットに書いてある番号を探して、三人掛けの赤いビニールの座席に娘と向かい合わせに座る(われわれの座席の横には人が座ってこなかった)。

英語のアナウンスが聞こえてきたが、娘は「しゃべっているの日本人やで」と言う。

しばらくして赤い制服を着た中年の日本人(多分)女性が乗車人数の確認に来た。
キュランダ鉄道で日本人(多分)が働いていることが不思議に思える。

汽笛が鳴り、列車はゆっくりと動き出した。
いつの間にか駅員や売店の人が出てきて手を振っている。
駅舎が見えなくなっても速度は速くない。なにせケアンズ駅まで32キロを2時間弱で結ぶのだ。

車窓からしばらく熱帯雨林を眺めていると、バロンフォールズ駅に停まった。ここでは滝が眺められるので10分間の停車だ。みんなこぞって車外に出る。こんなに乗っていたのかと驚くほどの人数である。

遠くに見えるバロン滝は壮大だ。鉄柵にもたれて見ていると、隣りにいた白人男性が「ほら」と鉄柵を指差す。そこには半透明の緑アリが群がっていた。
グリーンアントと呼ばれるアボリジニが食用とするアリだ。アスコルビン酸が豊富で爽やかな酸味があるという。食べてみようと思ったが、なんだかかわいそうでやめておいた。もう一種類の赤っぽいアリはハニーアントと言って、甘さの中に酸っぱさが混じって絶品らしい。

すぐそばの小高い丘が展望台のようになっていて、みんなそこで写真を撮っている。様々な国の人が滝を眺めていたり、家族や友人と写真を撮っている中にいると、ほのぼのとした感情になる。

汽笛が鳴った。乗車の合図だ。
展望台にいた人たちも急いで列車に乗る。

またしばらくすると大雨になった。並行する道路をヘルメットをかぶった若者がずぶ濡れになって自転車をこいでいる。窓側の乗客が「がんばれ」と応援する。若者は必死にペダルを踏んでいたが、ついに抜き去られてしまった。

車窓を開けていたので、通路は雨でびしょびしょになってしまった。日本だったら乗客が大慌てで窓を閉めるだろう。オーストラリア人(観光列車だからそうでない人もいるだろうけど)のおおらかさを感じ、いいなあ、と思う。

風景を眺めていると、突然30匹ほどのカンガルーの赤ちゃんが線路わきの芝生にいるのが視界に入った。あっ、と思う間もなく視界から消えていった。二度目の幻視か(娘は寝てた)。

列車は二番目の停車駅、フレッシュウォーター駅に到着。ここで大勢の人が降りていった。
名前の由来は鉄道工事の人たちがここで真水を飲んだからだそうだ。この駅は車両を改造したカフェがあり、人気らしい。

あと少しで終着駅のケアンズに到着するという時に列車が緊急停止した。

「あれっ?」

ケアンズへの道15 ドリアン長野 2024年8月14日

くだんの女性車掌が慌てたように客車に入ってきて、「大丈夫です。踏切に男性が侵入してきただけですから」と言ったが、なぜかこの時、彼女が英語を話したのか日本語を話したのか覚えていない。

ちょうどその時、車窓の目の前で50代くらいの半裸の男性が「俺は何にもしてねえからな!」と怒鳴りながら向こうの方に去っていくのが見えた。右手に紙袋を握っている。オーストラリアでは公共の場での飲酒は禁止されているので酒瓶に違いない。

ケアンズ駅には4時に着いた。
ホテルのチェックインが遅くなったのでゲストハウスから「レセプションは閉まるので、外にあるセーフティボックスから部屋のキーを取ってください。キーにはあなたの名前とルームナンバーを付けています。ゲートの暗証番号は⚪︎⚪︎⚪︎、Wi-Fiは⚪︎⚪︎⚪︎、です」というメールがきていた。

ボックスを開けると部屋番号が書かれた紙がキーに結わえてある。その部屋を探すのだが、わからなくてウロウロする。二階の共用スペースにいたヤングカップルに聞くと、女性が男性に「探してあげなさいよ」。

男性は二つ返事で探してくれる。彼も少し迷っていたが、無事に見つかった。
丁重にお礼を言う。

ダブルベッドとシングルベッドがあり、テレビと冷蔵庫は無し。エアコンは1時間1ドル。
ここも中庭にプールがあり、バルコニーはないが、東南アジアのリゾートのような環境だ。
日本円で一泊一万円弱。

すぐに目の前にあるケアンズ駅を通ってwoolworthsへ。5分で行ける。
ケアンズにおけるwoolworthsは地方都市のイオンみたいなものだ。二日間で何回行ったことか。

エスプラネードに行く途中のホテル(?)の芝生でコンサートをやっていることがあるのだが、その方面から花火があがった。急いで近づいてみたが、終わってしまった。何だったのだろう。

ケアンズ最後の夕食はオージービーフということで地元で人気のステーキハウスに行く。
まだ夕方だが、店内は満席でテラス席に案内される。案内してくれたのは日本人女性である。

付け合わせを二種類選ぶスタイルでマッシュッドポテトとサラダをチョイス。ステーキは少し硬かったが、その方が噛みごたえがあって好きだ。娘は最後の乳歯が生え変わる時で、歯がグラグラして全部食べられないので残りを私が食べた。さすがに腹パンだ。
手を挙げてチェック。

「娘さんと仲がいいですね」
「いいですよ」
「私は父とは反抗ばっかりしていたので旅行なんて考えられないです。反抗することがカッコいいと思ってましたから」
自分もパンク世代なのでよくわかります。
「私は29なんですがケアンズに来て三年、ここで働き始めて二年になります」
「生まれはどちらですか」
「新潟です」
「どちらからですか」
「大阪です」
「関西空港ですね。また来てくださいね」
気になってあとでその店の口コミをネットで読んでみた。そこには「日本人女性が親切に教えてくれた」と多くの書き込みがあったが、中でも印象的だったのは「日本人女性が一生懸命テキパキと働いていて輝いていました。私の娘も彼女のように輝いてほしいと思いました」という書き込みだった。
彼女の御尊父はこの書き込みを読まれたのだろうか。読んでいてほしいと切望する。

ケアンズに行ったことのある人なら知っているだろう。アメリカのスラングでなぜか「クズ野郎」という名のステーキハウスだ。

ケアンズへの道16 2024年8月20日

われわれは喧騒を抜けてエスプラネード方面に歩いていった。公園を通って海沿いを歩く。誰もが使用可能の木製の椅子とテーブルがあり、家族らしき人たちが食事している。楽しそうだ。
海岸には船舶が停泊している。しばらく歩くとホテルもカフェもなく、人もいなくなる。辺りも暗い。
空を見上げる。南半球の星が満天に輝いているが、どれがどの星座なのか。

「二日は短いよなあ。担任の先生にオーストラリアに二日間行くって言ったら驚いてた」

「あと一日あったらどこに行きたい?」

「グレートバリアリーフ」

「へえ〜、意外やな」

「わたし、このまま行方不明になりたいわ。そんでオーストラリアに住むねん」

「どうやって暮らすん?ホームレスか」

「家族でオーストラリアに引っ越したら?それでわたしはインターナショナルスクールに通う」

「う〜ん、友だちと別れないとあかんで。何でそんなにオーストラリアが気に入ったん?」

「アジア人は不機嫌な人が多いけど、オーストラリア人はおおらかで陽キャ、人の目を気にしないし、店の人と客が対等。日本はそうじゃない。自由な感じがする」

アジア人が不機嫌というのは置いといて、そこまでオーストラリアが気に入ってくれたら高いお金を払って来た甲斐があった。

娘と話しているとステーキハウスの女性が言ったことを思い出す。

娘は今中1だけど、もう少しすれば父親と歩くのを嫌がるだろう。家族より友だちといる方を好むだろう。それでいい。親の役目は子どもを自立させることだ。

娘は言いたいことをズバズバ言う。怒るときは烈火のごとく怒る。その時に思わずニヤッとすると「笑うな!」とますます怒るが、自分の父のことを思い出して「遠慮なしに何でも言える関係」を嬉しく思っているのだ。
この前は怒って胸ぐらを掴まれたが、「おお、いいぞ」と内心思っていた。

私の父は厳しい人で手も出た。近寄りがたいところがあり、そんな父を私は小さい頃から敬遠していた。高校を卒業して生家を出ると嬉しくて仕方がなかった。会社に勤め、休みになるとアジアをほっつき歩いて、何年も帰らなかった。

娘が保育園の時だった。その頃娘は情緒不安定でイライラしていることが多く、些細なことで妻を非難して腹立ちまぎれに蹴ったことがあった。

私はカッとなって娘を平手打ちした。それでも反省しない娘を両手で掴み、寝室のベッドに押し倒してまた叩いた。娘はギャンギャン泣いた。

その時の私は理性を無くしていた。その時のことを思い出すと胸がキリキリと痛む。張られた娘の頰より、張った右手の方が痛いというのは本当だ。

だからその時、もう二度と体罰はしないと誓った。

私が30代の頃だったか。久しぶりに帰省したのだが、帰る時に父が「この家はお前の家だからいつでも帰ってこいよ」と言った。
父がそんなことを言うなんてと驚いた。

父が二年前に癌で亡くなった日は孫娘の10歳の誕生日だった。自宅で看取った妹は「自分の死んだ日を覚えてほしいと思って、この日に死んだんだ」と泣いた。

父は孫娘をとても可愛がっていた。
娘は僕が50歳の時の子どもなので、もっと父と孫との時間を過ごさせてやりたかったという思いはあるが、それは仕方のないことだ。

「さあ、そろそろ帰ろうか」

 ゲストハウスに向かって歩いていると、交差点でホームレスが二人、大声を出している。

「あっちの道を歩こうよ」

「いやいや、大丈夫」

少なくともケアンズには白人のホームレスはいない。いるのはアボリジニだ。失業率は白人の3倍近くになる。政府はアボリジニの子どもを親から隔離し、文明化するための教育を施すという愚策を実施したこともある。これはアボリジニの文化を根絶することが目的だった。

線路内に入り、キュランダ列車を停めたのもアボリジニだった。

 ケアンズへの道17 2024年8月23日

ホームレスのいる交差点にちょうど二階建てバスが左折してきた。イベント用の天蓋のないバスで大学生と思しき若者が盛り上がっている。
一人の男子学生が二階からホームレスを指差して「Hey、You're my brother!」と言う。
娘は「一瞬で兄弟になったで!」と大受け。

夜の道をゲストハウスへと帰る。
入ったことのない、いつものベトナムレストラン。
この角を曲がったら何度も行ったwoolworths。既に閉まっているけど、もう訪れることもないだろう。
ケアンズは小さな街だから半日もあれば、全てがわかるという。
でも全てがわかると言うのは傲慢だ。
たったの二日間だけど、濃密な時間だった。

ゲストハウスの近くに来た時、娘が「この通りを歩いてみよう」と言う。普段は慎重で怖がりな娘が?と思ったが、裏道を歩いてみる。街灯はなく、暗くて不気味な感じだ。
なぜかどこからか動物の鳴き声のようなものが聞こえる。
帰国してからネットでケアンズの危険エリアを調べてみると、以下のことが書いてあった。
まさにわれわれが歩いた通りだ。

 「特に注意が必要なのは、ケアンズセントラルの裏側にあるブンダストリート。 街頭が少ないため、夜は薄暗くなり、殺傷事件・窃盗・暴行・性犯罪が報告されている場所となっています。」

翌朝、パッキングというかリュックに服や充電器などを詰めるだけだが、それを終えて娘を早めに起こす。
ドアに近い(つまり共用トイレに近い。頻尿なので)シングルベッドに私が寝て、ダブルベットは娘に譲っていた。
シーツを丁寧に畳んでいるので、「そのままでいいよ」と言うと、「日本人が悪く思われないように」と言う。これには感心した。
子どもは親の教師みたいなものだ。

7時半にチェックアウト。外に出ると日差しが強い。
エスプラネード方面に向かって歩く。最後は地元で人気のカフェに行くことにした。
ケアンズ港に面した「Wharf One」。
犬を連れてきている人も多い。ひっきりなしに客が来る。それを見ているとオーストラリア人は人生を楽しんでいるなあ、と感じる。
注文したのはスムージーにフルーツボウルとアボカドトースト。
 しかし量が多い。 メニューに14歳以下がオーダー可能のキッズプレートを見つけたのはそのあとだった。

昨夜オージービーフを食べたのであまりお腹は減ってないが、頑張って食べる。私は食べ物を残すのが何より嫌いなのだ。トーストは半分機内で食べることにして、リュックに入れる。娘はこれだけ食べて、と言うので上に乗っかっているオレンジを食べる。
もうお腹は、はち切れんばかりだ。まだバナナやキウイやアサイーが残っていて、底にはシリアルが鎮座している。

娘はゆっくりと時間をかけて口に入れていく。
「無理に食べなくてもいいよ」と言うが、「残すのは悪いから」と言う。
フライト時間があるので10時半にはカフェを出なければならない。娘はそれから1時間かけて食べた。平成生まれなのに天晴れだ。

カフェを出て、歩いていると「口の中にあるものを吐き出したい」と言うので、そこの草むらに吐き出したら、と言ったが「いやだ。トイレで出したい」。

娘は妻の家系の高貴な部分を受け継いでいるんではないかと思うことがある。私の家系にはやんごとなきご先祖様は一人もいないのだが。

カジノを併設した高級ホテルでトイレを借りる。長い間出てこなかったので聞くと「水が止まらなくなった」。

ゆるせ、高級ホテルよ。ゆるせ、オーストラリアの人々。もう空港に行かねばならんのだ。旅の恥はかき捨てか。 最後にケアンズに汚点を残してしまった。

 ウーバータクシーを呼んで空港へ。 延々と続くとうもろこし畑を車窓から眺めていると感傷的になる。
ドライバーが聞く。

「ケアンズはどうだった?」
「娘が帰りたくない、永住したいと言っている」
空港には20分足らずで着いた。
「またケアンズに来てくれ」とドライバー。
またがあるのか。
「飛行機からグレートバリアリーフは見える?」
「いや、航路が違うから見えない」
関空に着くと「オーストラリアに帰りたい」と娘。
帰りたい、か。まるで故郷みたいじゃないか。

私はと言うと、大好きなスマッシングパンプキンズを聴きながら公園の前を通りがかると、一瞬ケアンズにいるような錯覚を起こす。
こうやって人は好きな国が増えていくのだろう。旅をした分だけ。
娘の海外への憧れは増していくばかりだ。
終わり

ミディアムパープルはドリアン長野が執筆した部分です。

マーキュリーマークの海外旅行記 カナダ ブリティッシュコロンビア州編

ドジャーブルーは私、管理人マーキュリーマークが執筆した部分です。


 皆様への伝達事項

 令和二年の願望は令和六年に実行。
ケアンズは豪州のクイーンズランド州(略称QLD)に存在します。
土曜が定休日の大阪府パスポートセンターは日曜は旅券の発行だけで申請は平日に行えます。
ドリアン長野にとって2007年の年末から2008年の年始に香港とタイランドへ新婚旅行して以来の海外旅行。 20年ぶりではなく16年か17年ぶりに訂正?
 以前の海外旅行記とは異なる部分が存在します。
 筆頭はオーストラリア政府の電子渡航許可(ETA)でしょうか?
平成24年迄に生まれた人は平成31年迄に渡航したか? 実際は千差万別。
娘を愛する奥さんの提案で一人旅ではなく初めて南半球へ親子旅行。

 私はメルカリよりヨドバシに発注します。 ウールワースは名店です。
 日本と違い海外の小売店は価格差が激しいです。
 高額な地球の歩き方も悪くありませんが安価な書籍も販売されてます。必ず海外旅行案内書を一冊は購入し渡航先について熟読しましょう。

ラピートは南海難波駅から関空を往復する空港連絡鉄道として大阪では有名です。新幹線とは異なり観光列車のキュランダ鉄道は遅いそうです。 観光商品を依頼するか否かは各自でお決めください。

 地元の町を離れ下見も含めて海外の町を歩くと喜ばしいです。
名所への訪問は各自の自由ですけど治安が悪い通りを歩くのは辞め ましょう。国の内外を問わず野生動物や有害な植物については警戒すべきです。「蟻の群れ。」を見るのはともかく私は皆さんに対し て捕食は推奨しません。
 錯乱してる人は「有名な観光地に行かなかったのはおかしい。」と批判するが保安上の観点から避けた人はいます。

 早めの入室ないしは退去が遅い場合は追加料金がホテルから請求されます。 海外においてもスリッパが利用出来ると快適です。
 エアコンの使用料金が別途なのは厳しいです。預かり保証金から請求されないだけ良かったのか?

ドリアン長野の海外旅行記の特徴の中の一つに「レンタカーは運転しなかった。」が含まれます。皆様に対し国際運転免許証を保有されてるなら海外での利用の妨害はしませんがレンタカーについては交通事故の懸念から推奨しません。

海外で在外邦人と出会った時に善人で活躍されてると嬉しいです。
逆に無礼者だと大変です。 軍事の領域で悪人に対し制裁を加えた人はいる。 過激、狡猾、高慢と誹謗されるやもしれないが社会の安定の為には不可欠な行動であったのを連想する。何人もの人々の悪事に対して制裁を加え嘲笑したが賛同する人は少ないので辛い。
万人が納得する内容ではなく笑えない旅行記はケアンズへの道16です。 旅行記なのか人生の苦悩について考える投稿なのか?

bizarre.は奇妙という意味の英語です。
ホグワース特急はホグワーツ特急のようです。
豪政府は1970年代にベトナム戦争の難民を受け入れました。
集団的自衛権について否定する人はおります。
 社会的に隔離すべき悪人はおります。猜疑心や嗜虐心が旺盛な人から旅行中に自由妨害をされなかったので羨ましいです。私が平成27年にカナダを旅してる時には防犯上の問題があるストーカーから毎日フェイスブックを通じ詰問されて返答したが損するだけで得することはなかった。

海外の街と地元の町を比較するのは渡航した人でないと理解は不可能です。将来的に再び渡航するのか否かは不明です。次は家族で?
 私は奥さんの体調については改善することを希望します。




 オマケ
 私は随分前から「南半球の外国に行きたいのでは?」と思ってました。
娘さんにしたら初めての海外旅行が豪州のケアンズ。
短期間でも楽しい海外旅行だったので渡航出来なかった不満が解消されたようです。 次は南米かアフリカになるのか? 時差のお話は文字数制限と本文で取り上げられてたから割愛します。



敬具 管理人マーキュリーマーク

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回顧を兼ねた書評 令和二年三月



僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。
行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。
インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。アフリカは遠すぎて行けなかった。
新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。
バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。
旅も好きだが、旅行記も好きだ。この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。何よりも文章がうまい。奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、一気に読め、感動的でさえある。朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。


管理人マーキュリーマークからの伝言
上記は、ドリアン長野が令和二年に投稿した内容です。
令和六年にドリアン長野は親子で
ケアンズ旅行。
 

ランニングについての投稿




ランニング(特に早朝)をすると
眠気がふっ飛ぶ
血液が循環する
走っている時は悩みを忘れる
デトックスになる
街中の新しい発見
脳から快感物質が出る
一日爽快感が続く
大阪城公園〜坐摩(いかすり)神社の紫陽花